ちゃいの秘密日記 
○●2011年度●○

 

 

■街づくり技術士のバラッド
 -2月18日 -

今日は本当は飲み会の予定だった。
久しぶりに、ゆっくり飲んで話すつもりだった。
普段、気丈に振る舞っている人だけに、たまには飲んで普段言えない事を沢山言って欲しかったし、僕も言いたかった。
しかし、残念ながら急遽キャンセル。
知り合って10年を超える。お互い、仕事が嫌いなわけではないが、仕事に毎日忙殺される生活を送り続けて、少々どこへ向かっているのか見えなくなる時がある。
そんな二人の飲み会だったが、またしても実現せず。
やっぱ変えなくちゃいけない。今の自分の持っているものを最大限大切にして生きるためにも。

そんなわけで、すっかり行くのを止めるつもりだった斉藤和義の山梨公演に行く事にした。
仕事が終わったのが17:50。
公演は17:30スタート。
この時間設定に当初行くのを諦めたのだ。
しかし、このまま今日を終わらせていけない気がして、東京エレクトロン韮崎文化ホールへ向かう。

余談だが、このホールは、近年なかなかメジャーな演奏家が来るホール。
山梨はジャンル問わずミュージシャン泣かせと言われたのが僕が中学生から大学生にかけての頃。
客がまったく乗らず、二度と来たくないという話を良く聞いた。
しかし、山梨もだいぶ音楽を聴く機会が増えて見方が分かるようになってきたのと、穴場のコンサート会場として関東近県からお客が来るようになったこともあり、コンサートを楽しめるようになったのではないか。

遅れること1時間。
ホール脇の駐車場はもちろん満車。
少し離れた第二駐車場も満車。通路にまで車を横付けしてある始末。
さらに少し離れた空き地が臨時駐車場のようになっていて、そこにやっと駐めた。
走って会場に向かうもさらに10分ほど遅れる。
さすがにホールスタッフも、この時間に来るやつは珍しい的な扱いの中、座席まで案内される。僕が獲っていた席が丁度二つ空いていて、隣の席のお姉さん二人がこれ幸いとゆったりと斉藤さんの歌に聴き入っているところに割り込んだ。ゴメンね。

着いたととたんに始まったのが「歌うたいのバラッド」。
これを聞かなくちゃ、斉藤さんのコンサートに来た意味がない。
いきなり熱唱。僕も隣のお姉さん方に気を遣って小声で熱唱。
その後も、ノリノリのロックナンバーを聴いて、そこからまだ一時間半くらい斉藤節を味わった。
十数年前に聴いたライブの時よりも、ずっと爽やかで、ストレートに激しくて、人間くさいライブだった。全部聴き終えて、やさしい気持ちになった。

やさしい余韻に浸りながら外に出ると、田んぼの真ん中に作ったこのホールの立地の悪さを改めて感じる。
最近東京でいろんなホールに行く事が多くなったが、東京は公共交通から直接建物に入れるところがものすごく多い。
しかし山梨の文化ホールや公共施設は、車でなくては行きにくいばかりか、車でも使い勝手の悪いホールがほとんど。
20年前のホール乱立時代、どこの町村も自分も自分もと、作りやすい空いている土地に安易に作ってしまった結果がこれ。元々公共交通の脆弱な山梨では、こう した公共施設はそれこそ鉄道駅の近くや他の公共交通の利用しやすい場所に作るべきであった。そして、もっと戦略的に自動車による使い勝手のよい設計にするべきであった。
リニア新幹線時代が来る山梨においては、何にしても、公共交通と各エリアをどう結ぶかが全ての肝である。たくさんの観光客がドッと来てバカ儲けす るための街づくりではなく、山梨で暮らしやすい街づくりのためのプランニングが必要。リニア開通までまだ時間はある。ちゃんと人が居住する街が存続できるように取り組めば、絶対に準備できる。
これは街づくりを仕事とする技術士である僕の山梨に捧げるバラッド。

さて、音楽の良い余韻にひたりつつも、この日のいろんな出来事はちょっと重い。
街づくりだけではなく、自分の人生づくりも含め、ちゃんとしなくちゃいけない。
公への大義名分では、身近な人々の日々の暮らしの良い事悪い事をちゃんと受け止めてあげられない。
僕には今、たくさんの守るべきもの、守りたいものがある。
だから、実際にちゃんと守るための行動を起こさなくてはいけない。
当たり前のように会社経営や社会活動の中で忙しく駆け回る日々。
多くの苦労は、最後には自分と自分と関わる人たちの幸せの為。
そういう前向きな苦労を、もっといっぱいやっていく。やっていきたい。
これが、僕の好きな人に捧げる歌うたいのバラッド。

 

■明けましておめでとうございます
 -1月1日 -

今年もよろしくお願いします。

コンビニで立ち読みしたところによると、細木数子さんの六星占術では、僕は2009〜2011年の間「大殺界」だったそうで、今年から少し運気が良くなるとか。良いというものは何でも信じ、ダメなことはすぐに忘れる都合の良い性格を駆使して、今年も頑張ります。

とはいえ、今年も震災復興へはまだまだ取り組まなくてはならないことだし、自分だけでなく社会全体として進まなくてはいけないことも多いので、周りの人たちに去年よりは気が使える自分でありたいと思います。
もちろん、それ以外にもいろいろ思うところはあり、以前から思い続けてきたこともあり、思って実施してきたこともあり、そういう思いを、自分を活かす為に改めて始めてみる事にした。

即ち、「改始」である。

色んな思いを、具体的にちょっとずつ行動に移すことを始めてみる。そんな一年にしたい。そしてそれは、今年40歳を迎える自分としては、残りの人生を改めてスタートさせる意味も込めて。

今有る「生」を大切にできるような生き方が、どうかできますように!

 

■何かを変える 〜 山梨から
 -9月4日 -

8月から流れているダイハツのCM、山梨で撮影されています。
よく見たことのある景色が流れてます。

http://www.youtube.com/watch?v=7U1VwR9ZaFM&feature=player_detailpage

・荒川の河川敷
・北杜市のスーパー
・甲斐市の喫茶店

普段見慣れた景色も、テレビで見るとノスタルジックで優しい風景となっている。
甲斐市の喫茶店は家の近所。
気になって前を通ってみたら、ずいぶん混んでた。

住めば都。
そこに住む人たちの意識が街をつくる。よくどこにでもあるような風景と揶揄されることが多い山梨の街並みも、山々に囲まれたこの土地でつくられる景色は、他にはない。
結局、そんな風景の価値をつくり出すのは、その土地に住む人たち。
その風景の価値を見出し、批評し、楽しみ、嫌悪するのも、そこに住む人たち。
私の気持ちが変われば、盆地ももっと色んな風景を見せてくれる…はず?

 

■これからの日本を生きるためには
 - 7月29日 -

大震災のあと、復興だとか国策についてやっぱりいろいろ思うことが多くある。
きっかけはどうしたってテレビやラジオ、ネットや雑誌から入ってくる情報だ。
身の上に起こらなければ真剣に考えられないのが人間であるが、今回の震災は結果として日本全体には具体的な問題と、政策についてそれぞれに何かしら考える機会をつくっているのではないか。

政府の発表が信用できないと言いつつ、それ以外の情報は主要メディアではなかなか流れず、週刊誌では原発に対する隠蔽と芸能人の下世話な話がページの裏表にあって真剣みが伝わらない。
真実を知る上では、色んな情報ソースをもち、自分で判断し、みんなで社会の行く末を話さなくてはならない。
正義は価値観。人それぞれ違う。

ツイッターでこの東大の児玉先生の訴えが紹介されていたので、聞いてみた。 これも私達がどう生きるかの大事な情報であり、選択していくために知ることが必要なことだと思う。

放射線の影響は、すぐには分からないところが難しい。
これからの日本を生きるためには、知識と覚悟が必要。


「2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦 」

 

■人は慣れてしまう
 - 7月18日 -

6月最終週からここ山梨でも暑い毎日が続いている。

九州強行軍(一泊で福岡へ行くのを連続で行うこと(^_^;))の翌日、6/29、甲府は38℃まで気温が上がった。
僕のいる会社の部屋は38.5℃だった。
体温より暑い。
さすがにその週はグッタリだった。

ちなみに、僕が今いる部屋は今年改装して仕事が出来るようにした場所なのだが、エアコンを何年も使ってなかったので、壊れてた。つけると温い風が出る。
会社のほとんどの部屋のエアコンは、昨年リニューアルし、脅威の省電力と温度調節力(今まで四台27℃で動かしても暑くて文句が出ていた業務室が、なんと二台29℃で十分涼しい。女の子なんか寒いって言う。)を獲得したので、今年の節電には大いに活躍している。この差は大きい。

そんなわけで、一人でいるのに、利きの悪いエアコンを一人で使うのは非常にエコでないので、とにかく耐えることにした。
毎日36℃は確実に超えている。
一週間の間は、毎日異常な汗と手のしびれと頭痛を感じた。完全に脱水症状。
2週間目、汗の異常さは相変わらずだが、しびれと頭痛が無くなった。
3週間目、汗は相変わらずかくが、暑いことが苦ではなくなった。
なんと、身体が暑さに慣れ始めている。
もちろん、電気に頼らない暑さ対策(窓の外の葦簀・ルーバー設置)はしているものの、最近では部屋に入る風の爽やかさや涼しさを感じれるようにもなってきた。

人は慣れることができるのである。
環境への適応力と心持ちで。

節電が強く叫ばれるこの夏、当社も当然節電には協力している。
これは、電力云々の前に、震災を日本国民として目の当たりにしておいて、自分たちが出来る協力は、やっぱりしたいから。
仕事の効率を落とせない現実はあるにしても、知恵や工夫で出来るかぎりは何とかしたい。
同時に、エアコンでなくては超えられないと思っていた暑さ対策を、もっと身近な方法で乗り越えることを思い出す良いきっかけでもあると思う。電気でなくては出来ない事はいったい何か。お風呂を沸かしたり、煮炊きするのに電力は必要ないのだ、本来。

涼しい方が仕事がはかどることは否定しないが、少し前の昭和のころの状況をみんなで授与して、多少スピードがとちることも覚悟しながら、皆で生きる方法を見つけたい。
それは、出来ないことではないのだから。

閑話休題
震災のこと、原発のこと、放射能のこと、これも人はその恐ろしさや非日常的出来事の衝撃を、日々繰り返される報道の中で、テレビの中の出来事のように慣れてしまう。
四ヶ月という時間は長いのか短いのか。震災後、春が来て、夏が来て、津波の恐怖と桜の淡い風景は共に自然がもたらすことに世の哀れを感じたのに、腐った魚や何やらで嗅いだことのない酷い臭いに覆われる漁港の姿を見たのに、震災の現場にいなければ自分の回りの日常に埋没してしまう自分。打合せから帰り一杯の冷たい水を飲んで「ああっ、うまい」と言って幸せな気分になりながら、未だ上下水が復旧しない避難所があることを忘れてしまう自分。
震災以外の出来事も毎日起こっている。今日はサッカー女子のワールドカップで日本が優勝。これも信じられないような素晴らしい出来事。感動した。
元XのTaijiが亡くなった。破天荒な人生だが、ことタイミングで自ら命を落としてしまった。学生時代のコンサートのDVDでXのコピーをする後輩たちの映像を見たその日に。
震災ばかりで毎日が動いているわけではない現実。

慣れてしまう恐ろしさは、慣れてしまう有り難さは、そんなところにある。

慣れて対応できるようにならなくてはいけないこと、慣れて忘れてはいけないこと。
今年の夏は、いろいろ思うことが多い。

 

■nude
 - 5月15日 -

金曜日、健康診断があった。
まさに、甘えによる屈辱の診断だった。結果は出てないが、診断中のコメントだけで十分酷い。

そんな時、バタバタだった年度末に身体の断層写真などをとった検診の結果をよくよく見ていない事に気が付いた。
改めて見返してみたら、今回の診断に繋がる伏線は張られていた。
面談の時に見た体重の割に内臓脂肪が少ないねと言う言葉に良い気になり、現実を直視しなかった。
そして、実はその診断書にはDVDが付いていた。そう、面談の時に見せられた断層写真だ。
改めてしっかりみてみると、これは酷い、皮下脂肪。
すごい脂身だ。見て認識するというのはすごいインパクトがある。

ちなみに、全身断層撮影しまくったので、脳の立体写真もある。
これはちょっとえぐいので公に出来ないが、医学のIT技術の進み様はすごい。

露わにされた自分の身体。

なんでも震災に絡めるのはそろそろ終わりにした方がよく、良くなるための話をした方がいいが、それでも、生かされている命を大切にすべく、健康的生活へシフトチェンジ。

 

 

■新年度
 - 4月1日 -

実は…
2010年度はこのHP、1回も日記を書き込まなかった。書き込みたい思いが無かったわけではない。むしろ忙しさの中でたくさんの思いがあった。

最近便利になるブログやmixi等での更新は細々とやっていたが、htmlを書き換える形式は本当に手をつけなくなった。
作業がめんどくさいのと、どこでも行う訳にはいかないので。

しかし、このHPの歴史は長い。もう10年以上だ。止めてしまうのは感嘆だが、続ける事に価値がある。
そんなわけで、久しぶりに更新し、少しずつでも進める事にした。

思えば、3月11日の東日本大震災から、僕らは本当に経験した事のない危機にさらされていて、衣食住の基本が簡単に失われてしまう現実にいる事を山梨でさえじわじわ感じる。生活スピードを下げて、少し不便な生活を迫られている。しかし、世の中を見ると、津波と原発を目の当たりにしながら、まだそれと共に生きることを唱える人もいる。津波と共に生きるのは、これは日本で海に臨んで生きるには避けて通れず、自然の成りに合わせていくほか無いが、原発は人が作り出した技術だけに止めようと思えば止められるはずだが、利権・利便・損得が判断を惑わせる。

何が本当の幸せを生むのか、それは生きて感じるほか無い。ただ、原発は出来ない事を未来に託す意味で責任がない。この夏、汗ダラダラで仕事する事・生きるスピードが落ちる事もやむ無しと日本社会がシステムとしてちゃんと受けいられるのかどうか。日本人の民度が問われている。

 

 

  

 

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