乙女滝の伝説


 この文章は蓼科グリーンバレーのHPより抜粋したものであるが、文中に訳の分からない部分がかなりある。全文正確に理解できるだろうか・・・(謎)。


 昔、この地方に名主という権力を持った名門の家があり、大勢の召使いを使っていた。その頃は今と違って、名主様といえば家族と使用人の隔たりは天と地ほど違っていて、使用人は名主の顔を正面から見る事は出来ないほどの違いがあり、何か召使いに間違いがあればお手打ちになっても文句はいえないくらいの時代だった。


 さて、これから本題にはいるが、こうした時代の物語であります。今から幾百年も昔、この地方に土地や山林を多く持って、家で作れない大部分の広い田畑は小作人に貸し、年末になれば年貢米を入れる米蔵や金蔵が幾戸まえもある財産家の名主があった。この名主の家に二十歳近い長男があり、この人は大変温厚で性格がよく、使用人にも常に親切でまた名主の家柄というような顔をした事もなく、実に良く出来た青年で、地方の信望も厚い人柄の息子がいた。また親の名主はこれに反し元来の頑固者で、門閥というものを何よりも大切に考えている人物で、召使いの人達は日頃充分に主人の顔を見ることも出来ないというような御家の日頃だった。


 こういう名主の家には大勢の使用人がいて、女中には女中頭がいて女中一切の取り締まりをして少しでも淫らな行為は許されないという厳しさでした。この大勢いる女中の中にとても気立てのよい十六、七歳になる女中がいた。大勢の使用人の中でも特に目につくような働き者で、頭も良く何かと長男の人のお手伝いをしていた。またこの名主の息子は幼い頃より寺子屋へ通い、勉強好きでたくさんの書物があったので乙女はこの本を借りて見る事が唯一の楽しみで、息子の部屋へ行くことが多くなった。その内に二人の仲は何時しか心が通じ合い、愛の芽が生え始めたが、乙女はとてもかなわぬ恋なので、これ以上深くなってはいけないと自分を戒め、なるべく息子と会うのを遠ざけていた。しかし一度芽生えた芽は去り難く、愛は恋となり、人目を忍んではいても深くなる恋の道、内輪の人たちが気づかぬはずはない。また世間は世間で針を大もちにというように噂は噂を呼んだので、さあ大変、遂に名主の知るところになった。名主は目を赤くして憤り、不義密通は御家の禁物である、大した事をしでかしたと、早速女中頭を呼び出した。女中頭もいよいよ来るものが来たと、おずおず名主の前に出れば、名主の憤りは峠を越えたか、声ももどかしくおまえの監督を責めるわけではないが世間に対し面目もない。即座に乙女を呼んで暇を出すよう、ふつうなれば手打ちに致すところであるが、日頃は好々働いてくれたのでその心に免じて手打ちにしないので、その訳を本人に良く伝え、ただしこの土地に二度と顔を見せぬように申しつけろと命じた。また倅をも呼んで固く言い聞かせ、二度と家門を汚すような事をしないよう、今後またも斯様な事が続けば女は手打ちに致し、貴様は勘当致すので覚悟するようにと厳しく言い渡し、ひとまずこの事件はかたついた。


 しかし川の水を一旦止めたと同じで、水が増せば堤は切れ、その時の水は前の数十倍の勢いで流れる。2人の恋も同じ事、尚も一層烈しく燃え上がり、行方も知れぬ恋の道とはこの事。さりとて今度主人に知れたならお手打ちになるは必然のこと、何とか好い道はないものかと思案を重ねた末に、そうだ困る時の神頼みとはこの事と考えたのは、横谷峡の入り口にある滝の御不動様は、本当にあらたかな神様で、その滝の水で身を清め祈願をこめれば必ず願いを達することができるという話を聞いたことを思い出した。そこで人の目に付かぬようにと万物みな眠った真夜中に心を込めて来てみれば、幾丈となく吹き立つ白い滝飛沫に思わ体は包まれた。ごうごうと響く滝の音は我身も心も何も無く、只々無我の境に入り、素裸となって幾回かしぶきを潜り、身を清め、斎戒沐浴、一念に神に願を叶え賜えと手を合わせ、3721日の願をかけた。それからは来る夜も来る夜も草木も眠る真夜中に、時には雨の夜も、こわさを忘れて一念に岩をもとおせと通い続けた。


 そして満願の21日目の夜、これが最後と素裸となって身を清めんものと滝の下に佇めば、どうどうとあがる滝に白しぶきに包まれてかすかに見える乙女の姿こと天女のように見えたのか、我を忘れてこの願いを叶え賜えと手を合わせ、真心をこめて念じに念じた。その時に、この真夜中に不思議にも滝の彼方に白髪の老人が現れて、こちらへ向かって「汝、乙女よ良く聞けよ、そなたの真心は神に通じたので2人の恋を叶えてくれるぞよ。しかし人には人の道がある。この道を守り行くのはなかなか容易ならざる道にして、谷あり川あり、茨あり、雨や嵐を乗り越えて如何なる物にも耐え忍び、真心一途に進むが道、この心得を守り誓うなれば」との御諭しがあった。乙女はその場に平伏して「必ず誓って守ります」と申し上げれば、白髪の老人は再び口を開いて「人間の一生は青竹の如くにして如何なる風雪にも耐え忍び、常に正しく真っ直ぐに伸び、やがては世の為になる、これが真の人の道、あの立派な青竹も幾つかの節を重ねて伸びて行く、人の道にも節がある、この節こそ大切な節にして、その第一の節は親には孝という節であり、第二は夫に対しては貞という節であり、第三は子には愛という節である。この三つの節を良く守り、青竹の如く一生の心の玉とするなれば、願は達成出来るぞよ。と言いおいて老人は滝の彼方へ消えてしまった。


 さて話は変わって名主の家では大変な騒ぎが起こった。日頃は頑固で丈夫な名主様が一寸した風邪がもとで段々病気が重くなり、医者や薬とあらゆる手を尽くしたが何の効果もなく、日に日に病は重くなるばかり、家族の人達はもとより医者も手の施しようがなく、明日ともいえぬ命となり、家族の人も医者も只々頭を寄せて神に治るようにと思い立ち、人目を忍び真夜中に滝の下へと登り来てごうごうと響く白滝の滝のしぶきで身を清め、真心こめて神様にどうか主人の病気が治るようお救い賜えと手を合わせ念じ念じているうちに、かすかに神の暗示あり「この滝の川裾に行けば、その川端に親草は枯れているが、よく見ればその草の根に青く太った芽の出た株がある。その草の根を煎じて呑ませれば必ず病気は治るぞよ」と示された。乙女は急ぎ川裾へ来て見れば、青く太った芽のある草の株が、ここかしこに見えたので、あゝありがたい神様と感謝して我が手から血の出ているのも知らずして、この薬草を堀り集め、喜び急ぎ持ち帰り、今は追放の身であるけれど、旧主の病が治るまで、と事情を話して頼んだら御家族の方々も許して下さるか、と意を決し、先ず女中頭を通じてと、女中頭の部屋へ行き事の次第を話した。女中頭も喜んで早速家族の方々に相談したところ、最初は信じてくれなかったが、家族の人達も看病に日を重ねてきたために皆がすっかり疲れ果てている事と、神のお示し下された薬草と聞いたので、名主の病気が治るものなら少しの間、乙女に看病させて見ようかと内輪の話が纏まったので、早速、乙女を呼び寄せて心を尽くして看病するようにと言い渡した。乙女は喜び必ずや主人の病を私がこの手で直してあげようと心の奥に鞭打って神のお与え下されたこの薬草を日夜の別なく煎じては投薬していると、医者も駄目だと言った病人が真心こめた看病の甲斐あって実に不思議や主人は意識を取り戻し、薬の効果もあらたかに日一日と回復してきた。


 気を取り戻した名主が、よく見れば枕辺に乙女のいるのに不思議と思い、家族の者を呼び寄せて、どうしたことかと聞いた。医者も薬も高価なく貴方の命は生死の境にあった時、それを聞いた乙女が神かけて今日まで真心尽くせし看病で貴方の命が助かった、と一部始終を聞いた。これを聞いてさすが頑固の名主も心から反省し、今まで家柄などにこだわっていた自分が恥ずかしい、真心ほど尊いものはない。一度は手打ちにまでと憤慨し、追い出した乙女が、主人の恩を忘れずに神かけ願ってくれたのだ、と心から尽くしてくれる人が家の為になる人である、こうした乙女を息子が見込んだのも無理はない。そこで早速、家族の会議を開き、まず名主から発言があり、「息子に嫁を貰ってやりたいが、家柄という物は二の次だ、家の為に尽くしてくれる人が第一だ。そこで我が家の嫁に乙女を迎えたいが如何か」と案を出した。そこで早速仲人を立て先方様へ申し込んだところ、身分は天と地ほど違いはあるが承知で貰って下さるならば、と話は丸くまとまって、吉日を選び目出度く祝言が挙げられた。


 兎角世間では嫁と姑の仲の悪い話が多いものだが、嫁が来てから名主の家からは何時も笑いの声が聞こえ、嫁が良ければ姑も我が子のように可愛がり、夫婦の仲は睦まじく互いに愛し合い、まもなく家の宝物、玉のような男の子が産まれ、一家はいよいよ団欒、世間の人に羨まれ、家は益々繁盛して世間の噂は高くなった。嫁が良ければ家中が良くなり、さすが頑固の名主も良くなった。主人が良ければ使用人まで和気藹々として働ける。名主の嫁の評判は次から次へと伝わって、村の嫁や娘達も見習えというほど村人達の良きお手本となり、三の節の教訓は村全体の守り神と信じられ、習い覚えて行えば何時しか村の娘達も名主の嫁と変わりなく、花の蕾と例えられ、今を盛りに売り出しのこの村の娘達は、網の目から手の出るように嫁にするならこの村から、と次から次と望まれてお断りするのが一苦労という有様であった。名主の家を見習えば村全体は晴れやかに、笑う家戸には福来ると村の各戸は繁盛し、名主の家も繁盛した。


 乙女の恋が叶ったのも、名主の病気が治ったのもみな乙女滝の御利益と、こうした話が忽ちに村から村へと伝わって乙女滝の名は全国に知れ渡り、良縁を求める人、病気を治す願いの人、その他多くの願いをこめた人々がこの滝を訪れ、滝を潜って祈願する人々跡を絶たず、こうして多くの良縁が結ばれているという。以上で乙女滝の伝説を終わります。


 なお、乙女が神の暗示で掘ってきた薬草は「おけら」という薬草で、昔から正月元旦に神に捧げたお屠蘇は、この「おけら」の根を摺り下し、盃に入れ、酒をそそいだもので、神々に捧げ、又一年の間健康の為にと家族一同で飲んできた。


「蓼科・八ヶ岳の伝説」より抜粋